13/100 林さん・祖師ヶ谷大蔵22年の足跡/アメリカ留学の目的/ハワイのあのイベント仕掛け人/東京の某マラソン大会作ってます♪(上)

林 良さん 2021.9.16 @祖師ヶ谷大蔵

 チトソシを通じて、まだ会ったことがない人にお話しを伺うことができる。この出会いって奇跡です。いつも考えもしない方向へと話がぐいぐいと広がっていくので、楽しくて、刺激的で、もうやめられません。

 100人インタビュー13人目となる、今回お話を伺った林さんは祖師ヶ谷大蔵にひょんなことから移住(?)することになり、居心地がよくって気がついたら22年もお住まいになっている男性です。夢をかなえるためにアメリカに留学し、帰国後就職。映像関係、イベント制作会社を経て、某マラソン大会を運営している財団で働かれています。まさかね、祖師谷で世界的に有名な大会の裏事情をちらりと見ることになるとは夢にも思いませんでした。。。。やっぱりね、インタビューはやめられませんね!

では、では行ってみましょう!

どうしてインタビューを受けてみようと思ったのですか?

※編集者・迫田(さこだ)の言葉に青下線を敷いてます。

 Instagramでよくチトソシを見ているんですよ。それで募集記事を見つけて、やってみようと思ったのです。言葉を選ばないでいいますけれど、チトソシってゆるいので、インタビューを受けてもいいかなと思ったんですよね。この間の金木犀の記事とか読んで、あ、この「白山裏通り?」ってあの通りじゃん!知ってる、知ってる、毎日通る、なんて思ったりして。ものすごく親近感があって。祖師ヶ谷大蔵の良さとかをボクでも伝えられたらいいなぁと思ったんですよね。

ありがたいですね。冒頭から涙が出そうになりました。林さんとは事前にメールを何通かやり取りさせていただいていて。祖師ヶ谷大蔵には22年お住まいになっているという話を聞いていましたので、その辺りから掘っていこうと思います。

 そうですね。1999年から住んでいます。祖師ヶ谷大蔵に住むきっかけは弟ですね。当時、ボクは富ヶ谷で働いていました。駅で言えば小田急線の代々木八幡になります。弟がプータロー(無職)になってしまって、親に一緒に住んでやってくれないかと頼まれたのですよ。二人で住める広めの部屋を探さなくてはならなくなったんです。ボクは25歳過ぎくらいです。お金はないし、弟は家賃出せないし。予算も限られたものでした。

 最初は代々木上原とかで狙ったのですが、高くて。それから1駅ずつ下っていったんです。家賃が見合うところまでね。不動産屋さんと話をしたら、祖師谷でいい物件と出会いました。

弟さんと住む前はどちらに住んでいたのですか?

 ボクが一番初めに就職したのが映像制作会社だったんです。アーティストのミュージックビデオなどを作っていました。例にもれず、全然家に帰れないんですよwww。当時は今よりももっと(労働条件は)ひどくて。今ならラップトップとかで(会社にいなくても)仕事ができちゃいますけど、当時は大きなテープを抱えて会社で仕事してととにかく大変でした。今考えるとですけどね、当時はそれが当たり前と思っていました。ほんとうに帰れないですよ、ほとんど会社に住んでいました。ひと月に2回帰れればいい方ってくらいですね。

 当時親父が東京にいました。転勤族で。たまたま会社が借りてくれたマンションに、ボクと弟と3人で住んでいたのですが、親父が転勤になって、実家がある静岡に帰ることになったんです。それでボクは会社にほぼ住んでいたんですが、弟が宙ぶらりんになっちゃいまして、親に頼まれて部屋を探して、祖師ヶ谷大蔵に降り立ったわけです。  祖師ヶ谷大蔵っていえば、とんねるずのノリさんの実家が営む自転車屋さんがある町じゃない?と盛り上がりましたね。もう当時はとんねるず全盛期で、ボクも大好きでしたし。

線路の南側、北側どちらだったんですか?

 最初は砧(南側)でしたね。弟は途中で出ていき、就職前はアメリカに留学していたのですが、そのときできた友達が日本に住みたいというので、「ここ広いから、じゃぁ、来いよ」と一緒に住んだりしましたね。ずっと誰かと住んでいましたね。

 最初はこんなに長く祖師ヶ谷大蔵にいるつもりはなかったんです。ここの店、うまいなという行きつけのお店とかがあって、気がついたら22年という感じですね。

まだ小田急線が地上を走っていて、南北に分断されていたときからですよね。

 ええ、分断されていました。20分開かずの踏切といわれて、SMAP × SMAPの番組でも紹介していましたね。でも、移り住んでから1年かそこらで高架に変わったんですよ(1999年3月に下り線が高架化。2000年4月に上り線が高架化)。高架になったらものすごく便利でしたね。

話は変わりますが、アメリカに行っていたのは映像関係の勉強ですか?

 いや、全然違いますね。アメリカに行ったのは日本で大学を卒業していったのですが、とにかく金髪のお姉ちゃんと付き合いたくて(笑)。

(笑)

 そんな不純な動機でいきましたね。いまだに「金髪」ということでは目標は達成できていませんね。エセ金髪はいましたけどね。

というとラテン系の女性ですか?

 イタリア人でした。イタリア人と付き合えて満足でしたよ。静岡県の片田舎で生まれたボクみたいな小僧に、イタリアのフィレンツェで生まれたサマンサちゃんが付き合ってくれて、彼女が本場のパスタを作ってくれる。これって最高だなと思いました。彼女の名前がサマンサで、ルームメートの名前はクラウディアです。絵にかいたような名前で、サザンの歌詞にあるような名前の女性でしたね。

付き合うことになったキッカケはなんだったのですか?

 ……なんだっけな? もう四半世紀も前の話なので(笑)。とにかくかわいくて、ボクからアプローチしたのは間違いなくて。英語クラスが一緒とかでもないし、どこで接点があったのかは覚えてないのですが……。彼女はあんまり英語が話せなくて、もちろんボクもあまりしゃべれなかったのですが、男女って不思議ですよね。そのつたない英語で会話して付き合っていたんですよね。  でも、サマンサは半年もたたないうちに帰国しなくちゃいけなくなって別れたんです。彼女の親父がフランスでレストランを経営しているとかで。涙の別れをしました。

それでフィレンツェに会いにいったんですか?

 いってないです。当時スマホはないし、インターネットはアメリカでしか稼働していませんでした。サマンサには住所と電話番号しか教えてもらいませんでしたし。 彼女に電話をするのですが、いつもサマンサのおばあちゃんが出るんです。おばあちゃんはイタリア語しかしゃべれない。だからいつも英語で「 Is Samantha there?(サマンサは居ますか?)」と単語を3つだけ伝えるのですが、おばあちゃんはわからないし、そのあとに笑いながらイタリア語をベラベラベラーと話されましたね。もちろん、ボクはおばあちゃんが言っていることが全然わからない。 お互いなにをいっているのかわからなくて、笑い合って終わる、というのが3回以上ありましたね。またこいつだ、とかいわれていたのかもしれないですね(笑)。サマンサ、1回ぐらい出ろよってね。

1回もサマンサとつながらなかったんですか?

 ええ、1回も。でも、ハガキは来るんです。「今、私はここにいるよ」って書かれていて、電話番号が書かれているんです。それで電話をすぐにするのですが、おばあちゃんが出る(笑)。

向こうから電話はかかってこないんですか?

 向こうからはかかって来ないですね。国際電話がめちゃくちゃ高かったですよ。ヨーロッパの人たちって、なんていうのですかね、そうゆうスピード感のある連絡手段というか、文明の利器に頼らない、古き良き感覚でコミュニケーションをとって来るんです。ボクはそんなイメージを持っていますね。アメリカのように、メールだ、テレビだ、電話だという感じはなかったですね。本を読もうかというように、すごくアナログで人間っぽい生活をしている人たちだなと。ゆっくり過ごしていく。そんなところも好きでしたね。

結局会わず仕舞いですか?

 ええ、会わず仕舞いですね。サマンサももう50歳過ぎた女性になっていて、街ですれ違ってもお互いわからないかもしれませんね。

SNSでつながったりするっていうじゃないですか。

 探したんですけど、やっぱり彼女はそういうのはやらないですよ。さっきもいったように読書とかするような生活をしているので。付き合っているときのことを思い出します。「ちょっと出かけよう」となると普通は車なんですけど、散歩しよってなるんです。ああ、いいなぁ、この感じって思いましたね。「うん、散歩しよ♪」ってなりましたね。  ふと思い出しましたけど、グローサリーショッピング(雑貨店、スーパーマーケット)にいくとですね、彼女は果物コーナーでブドウをひと房取って、食べながら店内を歩いていくんですよ。最後に「食べちゃった」とブドウを店員に見せて代金を払うっていうことが普通にあって。それを目の前で見た時に「こんなことしていいんだ!」とかなり驚きましたね。カルチャーショックでしたね。そうだよね、そうだよね、と目からうろこで。いつ食べたってお金を払えばいいんだよねと思いましたね。このペースはものすごくハマりましたね。

そんなゆったりとアメリカでは過ごしてきたのに、日本で就職したら激務だったんですね。

 真逆ですよ。帰れないし。ずっと夜通しモニターを見てるし……。フォトショップのバージョン3.01を使っていて、マックが固まるんですよ。ひどかったですね。固まって帰れない日はたくさんありましたね。「うぁー!固まった!帰れねー」みたいな(笑)。


っと、今回はここまでです。続きはこちら!

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