春がやってきましたね

Spring has come. (ちょっと英語でかっこつけました)

やっとというか、もう来てしまった、というか。

Tシャツになろうかな?って悩むような、心地いい気候は実はもう数えるほどしか残されていなくて、もうすぐ酷暑がやってきます。たぶん、GWのころはものすごく暑い可能性が高い。気がついたら汗だくで、日焼けしている。1週間くらいしたら、この暑さが本番を迎えて、11月中まで続くのか……とげんなりするのです。わたくしは汗っかきなので身体がべとべとしたり、汗が乾きTシャツに天然塩の模様を作ってしまうのです。そんな季節がもうすぐそこまで来ている。あー、憂鬱でしかない。

そんなことを考えつつ、河原に目をやると菜の花が咲いていました。ふと、「小春日和」という言葉が浮かびました。いけない、いけない。こんな春先に使ってはいけない言葉だったと思い至りました。たぶん、勘違いして使っている人もいるでしょう。寒い寒い真冬に、ふと春のような陽気が1日訪れる。そんな気候を差す言葉だと勘違いしている人もいるのだろうと(正しくは晩夏から初冬の温かい日を差す言葉。真冬や春先には使わない)。ずっと昔から勘違いし続けている老齢の方もいるかもしれない。そんなことを思って、ある友人のお母さんのことを思い出しました。

その友人の母方。仮名で花子さんと呼ばせていただきます。

花子さんはとある格言をずっと勘違いしています。たぶん、現在も。ことあるごとに、その格言を使ってはちょっとしたドヤ顔をされます。私もお会いした際に、その格言を言われたことがありまして、「あれ?」と思ったことがあります。それは違うのではと言いかけたときに、友人に首を振られ、「指摘してはいけない」とジェスチャーされたことがありました。子どもによる、親への愛を感じた瞬間です。

花子さんが間違って解釈しているのは「馬鹿とハサミは使いよう」という言葉。これは工夫によっては使えないと思われがちなものも役に立ってくれるという格言です。花子さんはこの格言を、ハサミを上手に使えないとお馬鹿さんだよと解釈しているのです。だから、ハサミで紙を切っているときにうまく切れないと、あらあら、あなたお馬鹿さんになっちゃうわよとおっしゃるのです。

だから、花子さんの前でハサミを使うのは緊張します。なるべく彼女の前でハサミを使いたくない。でも、避けても通れないときもある。ハサミを借りたときに、じっと目の前でハサミの使う姿をみられてしまうときもあります。

緊張します。じっと花子さんは私の手元を見ています。たぶん、私の手元が細かく震えていると思う。でも、彼女は私の手元から目を話しません。シャク、とハサミをうまくいれて行く。ハサミが先に進む。そうすると少しぎこちない動きになりました。花子さんがその動きを見逃すわけがありません。

あらあら。落ち着いて切ってみて。そうしないと……(花子さん、にっこり。嬉しそうです)。

花子さんへのリップサービスなのか、彼女が見ているからこそ、少し失敗してあげる気持ちがあるのかもしれません。そして、嬉しそうに話す彼女の姿を見て、よかった、と思います。

でもね。ほんとうは違うんですよ、花子さん。そういう意味ではないのですよ。そう何度言いたくなったことか。

この前、久しぶりにその友人とお酒を飲みかわすときがありました。例のハサミ。どう?そうそう、花子さんの。そう、やっぱり、まだ?そう、まだなんだ。もう、これはさ、墓場まで持って行ってあげないとね。

そんな話を友人としました。今更、指摘して恥ずかしい思いをさせてるのもあれですし。この気持ちはそっと扉を閉めてカギをかけておこうと思ったのです。

翌朝、コーヒーのパッケージを開けるときのこと。「切り口」と書かれているのに、そこからうまく開けることができずに、しょうがないとハサミを取り出しました。テカテカと光るビニールのパッケージです。ハサミでうまく切れるかな?と思ったのです。うまく切らないとほら、あれだから、と。

緊張してハサミを入れました。すっときれいに切れました。ホッとしている自分がいる。ホッとしてはっとしました。花子さんの哲学が、私の骨身にしみていることをこれでもかと思った瞬間でした。

バカとハサミは使いよう。いいじゃない。ハサミがうまく使えないとお馬鹿ちゃんって思われちゃうわよって。そんな意味で使ってもいいじゃない。そう花子さんのことを思い出して、そう思いました。

小春日和。それもそう。いつ使ってもいいじゃん。季節とか関係ないじゃん。使いたいときに使えばいい。そうやって春を感じようよ、そう思った春の日の一コマでした。

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