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欣喜

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「お客さんと話をしながら、料理をしたかったんだよね。カウンターメインの店が自分の思い描いた最終形態だったんだ」というのは欣喜のオーナーシェフ・青木欣也さん。

青木さんがこの世界に入ったのは三軒茶屋・北京飯店から。北京飯店でキャリアをスタートした彼は就職先を探します。白羽の矢を立てたのは横浜中華街でした。「やるなら、萬珍か聘珍のどちらかしか考えてなかった」と彼はいいます。いい。すごくいい、当たり前のようにトップを取りに行くこの姿勢。スカッとします。

そして、彼は萬珍樓に就職します。それから10年、腕を磨き続けました。腕もそうですが、人間関係も。研ぎ澄ますというか、温め続けるというか、大切に大切に築いていきました。

「萬珍の料理長は香港人(広東語でホンコンヤンといいます、以下ホンコンヤン)で。絶対に料理を教えてくれない。見せてもくれない。技術が盗まれてしまうと彼らは中国に返されてしまう(その料理がほかの料理人も作れてしまうのであれば、彼は不要になるわけです)。彼だって信用できないやつには絶対に調理する姿を見せてもくれない。飲みにいったり、遊んでも簡単に信頼が得られるわけではない。5年かかったな、信頼してもらえたなって思えたのは」

どうやってホンコンヤンと信頼関係を築いていったか・・・、青木さんはインタビューで答えてくれました。でも、ここでは書きません。書いてはいけないような気がしました。それは青木さんが見つけた方法であるし、誰かがマネたとしても、マネできるものではない。

想像してみてください。それは、おいしい料理が目の前にあって、どのように作られているのか想像するのに似ています。こんな材料を使っているのではないか、こんな調理法で作っているのではないか。そのように想像を膨らませることが大切で、答えを知ることがゴールではない、ということ。青木さんがホンコンヤンと朋友(ポンヨウ)という信頼関係を築くまでにやったこと。それはどんなことだったのだろうかと想像してみる。それが楽しいのではないかとワタシは思います。少々脱線しましたね。

5年。コツコツと積み上げてホンコンヤンから信頼されるようになった青木さんに、彼らは料理を「見せて」くれるようになったといいます。手取り足取り教えてはくれない。分量だったり、手順だったり、そんなものを逐一教えてくれるわけでない世界。見せてくれるんです(たぶん、横にいさせてくれるという感じなんだろうな)。だから、必死に目で盗む。そして、身体に染み込ませる。壮絶であり、刺激的である、楽しい日々を過ごしたのでしょうね。

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萬珍樓ではホンコンヤンの信頼を得るほかに、料理人として大切なことをたたき込まれたといいます。それは「しっかりと謝りなさい」という姿勢。

総料理長、鐘 徳輝(チョン スアンフィ)さんが青木さんの鍋ふりを見ているそうです。彼の後ろに、仁王立ちで。視線を背中でビシっと感じます。

1日に600食を作る壮絶な日々。調理がうまくまとまらないときだってあります。ちょっとの失敗であれば微調整してお客さんに出してしまいたくなるものです。でも、料理長のチョンさんは見逃しません。鍋ふりでちょっとおかしいところがあると、「フェーチャイ(青木さんのあだな)、それ、出すか?」っていわれる。

うまくいかなかったときは適当に出すのではなく、ごめんなさいとお客さんに謝って「作り直すこと」。それをしないと、あなたの腕はどこまでも衰えていく、と料理長に厳しく教えられたといいます。響きますね。この言葉。どんな仕事だってそうです。このぐらいでいいかと思えば、どこまでもどこまでも下っていくもの。ワタシの上司だった編集長も昔ステキな言葉をくれました。「気を抜けば水のように低きに行く」と。そんな言葉を思い出します。

この言葉は今も青木さんの心に刻み付けられていて、若手を指導するときには「謝れるようになりなさい」と伝えるといいます。若いからこそすぐに響かないこともあるかもしれない。でも、これほどまでに指針となる言葉はありません。プロとして羽ばたてるか、仕事として割り切るようになるか。そんな、瀬戸際に立ち、プロになるならこちらだと示してくれる、愛のある言葉です。

お店はご夫婦で切り盛りしています。お二人は30年くらいの付き合いで、出会いは高校の野球部。OBで監督を務めていた欣也さんとマネージャーだった泉さん。飲食店を営んでいらっしゃるので、最初のデートは思い出に残るレストランにでもいったのかな?と聞いてみると、「いってないね」「あまり二人で飲食店にはいきませんね」というお答え。「たぶん、初デートは夜の学校かな? キャッチボールしたかも」と、ピュア(純粋)という言葉を辞書でひくと、真っ先に例示されるようなエピソードが聞けました。愛のキャッチボール、とかいうと怒られるやつですね。たぶん。

話を伺っていると、欣也さんの周りは付き合いの長い人が多いことに気が付きます。ホンコンヤンとの朋友(ポンヨウ)といわれるつながりだったり、野球部の仲間とか、もちろん奥様とだって長い。人をとても大切にする人なんです、欣也さんは。それに付き合っていくのは年上だけではありません。若手の料理人ともつながっていく。先日は水戸から勉強のために若いシェフが食べに来てくれたそうです。自分を頼ってくれることのうれしさ。そして、彼らを接することで得られるインスピレーション。「若い子たちの発想はすばらしい。自分たちにはできない考え方を持っている」と彼はいいます。

現在のお店のスタイルは青木さんが思い描く最終形態だったけれど、このスタイルで走りはじめてみると「ここはこうしたい、これは違う」と思うところもあるんだとか。ここが安住の地、ということもなく、彼は先へと進んでいきます。人とのつながりを大切にしつつ。それは祖師谷で培われるシェフ同士のつながりも同じです。祖師谷のイタリアン、フィオッキのオーナーシェフ・堀川さんとこんな話をするというのだからすごい。

「フィヨッキの堀川くんと話をするんだけど、僕たちだってそれぞれ知らない料理のジャンルがある。ほかのジャンルの料理人を呼んで、目の前で料理してもらう。それで勉強になることがかなりあると思うんだよね。イタリアン、洋食、和食。それをローテーションしていくと自分たちのアイデアは膨らんでいく。あっ、この調理法は使えるな、とか」

その先の一言がものすごく響きました。

「そんなシェフの勉強会を続けて、祖師谷ってこんなことをやってるんだよと話題になればさ、結果として祖師谷の発展になるのであればいいじゃないって思うんだよね」って。ね? すごいでしょ。

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料理は目で盗むもの。

5年かけて信頼を得て、料理を盗ませてもらえる。そんな厳しい世界でようやく手に入れた技術を、若手や同業のシェフに惜しげもなく渡していく欣也さん。それはどんな気持ちなのだろう。想像しかできませんが、きっと自分の子どもに大切なものを伝えることに似ているような気がしました。

次はどんな話ができるのだろう。カウンターに座るのが、今から楽しみでしょうがありません。そう、どうしてフェーチャイっていうあだななのかも聞かなくちゃいけないし、ね。

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